「あ、草薙。頼みがあるんだけど、暫く八神を預かってくれないかしら?」
「お前にしか頼めないんだ。頼む」
「は‥‥‥?」
‡嵐の始まり‡
この出来事が起こる少し前。俺は縁側で昼寝をしていた。
もう秋はそこまで近づいてきていて陽射しも和らぎ始めているし、時々吹く風が寝ている俺の前髪を柔らかく
撫でていってとても気持ちがよかったから。こんな日は昼寝するに限る。
―猫の気持ちがわかる気がするぜ。今日はこのまま寝て過ごすか‥‥
もともと寝付きもいい俺は、風に揺れる葉擦れの音を気持ちよく感じながらすぐさま眠りへと落ちていった。
何の変哲もない穏やかな一日だった。うるせぇ親父や真吾も居ねぇし天気もいいし。もう何も言うことはない
くらいに。でも、それは嵐の前の静けさってヤツだったらしく・・・
嵐はもう、すぐそこまで来ていた。
少しして、控えめで上品な呼び鈴の音で俺は目を覚ました。
―お袋が気づいてないはずはないんだけど…あ、そういや今日は出かけるとかって夢の中で聞いた気がする・・・
まぁいいや。そのうち諦めて帰ンだろ。
起き上がるのも億劫に感じていた俺は、無視を決め込んで再び惰眠を貪ろうと目を閉じた。
が、しかし。呼び鈴の相手もしつこかった。
最初は数秒の間隔を空けて響いていた呼び鈴が心地よくもあったのだが、痺れを切らしたのか間隔も短くなり
だんだん乱暴になってきた。こりゃ連打の域だな。さすがの俺もこれには堪らず起き上がる。
「あーしつっけぇ!! これじゃゆっくり眠れねぇじゃねぇか!」
―随分礼儀がなってねぇヤツだぜ。これで勧誘だった日にゃ燃やしてやる!
この時、俺の目は完全に据わっていたと思う。
それほど呼び鈴の相手にムカついていた。苛立ちを隠すこともせずに玄関に向かい、勢いよく戸を開け放つ。
「はい、どちら様!!」
・・
半分怒鳴りながらそう尋ねると、目の前にはあの秘書二人組が立っていた。そして、冒頭に至る。
*
――――――‥‥ガラガラ、ピシャ。
「草薙!?」
「ちょっと閉めないでよ! 話を聞くぐらいいいじゃない!」
「うるせぇ! テメェらの冗談に付き合ってる暇はねぇんだよっ! 絶対お断りだ! 大体言ってる意味が分かン
ねぇんだよ。何で八神を家で預からなきゃならないんだ!?」
戸の向こうから声が消えた。気配は相変わらず残ってるけど‥‥ん?三人分の気配?
「でも、ねぇ?」
「ああ。もう連れてきてしまっているからな」
「ンだとぉ!?」
‥‥思わず開けちまった。
目の前にはやっぱりマチュアとバイスの二人だけ。でも、気配は3人分だ。
八神の野郎、どっかに隠れてるのか…?
「あら、話を聞く気になってくれた?」
「それはありがたいな」
とか何とか言いながらしっかり戸を押さえてやがる‥‥クソ、閉められねぇ。
「…ちょっと手が滑っただけだ。話を聞くつもりもない。帰れ」
「ちょっと困ったことになっていてね」
「草薙なら安心して預けられるわ♪」
―聞けよ。人の話‥‥
がっくりと項垂れる俺。仕方がない。適当に話を聞いて適当に追っ払っちまおう。そうしよう。
「私達、これから二泊三日の旅行に行くんだけれど、いきなり八神が暴走しちゃって」
「置いていこうにも一人で留守番も出来ない状態で置いていけなくてね」
「草薙なら暴走した八神にも対応できるし」
「何より八神が喜ぶからな。だから‥‥」
『草薙に八神を預かって貰おうと思って』
「なっ!?」
勝手に話し出した二人の息の合った話を黙って聞いてれば‥‥八神が暴走した!?
しかも旅行に行くから俺に預かれだって?
ムカつくことにハモりやがって‥‥
「冗談じゃねぇ!絶ェェ対にお断りだ!!」
眉をキツく寄せ、思いっきり睨みつけてやった。
―ンなもん、命が幾らあっても足りねぇよ!
「あら、冷たいのね」
「八神とは一八〇〇年の付き合いだろ?少しくらいいいじゃないか」
二人は全く怯むことなく食い下がってくる。
こいつらもオロチだからな。ちょっとのことじゃ動じねぇか‥‥
「しつこいぜ?それに、八神と草薙はもう縁を切ったんだ。何の関係もねぇ。まだ食い下がるってんなら…」
俺は掲げた手に炎を灯した。いつでも大蛇薙を出せる体勢だ。さすがにこれには二人も慌てる。
「ちょ、ちょっと待って!」
「まだ説明してないことがあるんだ!」
「ンなもん俺には関係ねぇな。うおおぉぉ…」
問答無用で俺は大蛇薙の溜めの体勢に入る。それでもコイツらは引かない。どうやら旅行じゃなくて、天国へ
行きたいらしい。いや、業火地獄へ二名様ご案内ってか。
「もぅ短気なんだからっ!」
「仕方がない。百聞は一見にしかずだ。八神を呼ぶしかないだろう」
「そうね…。怖くないから出てらっしゃい」
何をこそこそ話してるんだか知らないがマチュアが後ろを振り返った。するとひょっこりと現れた赤い生き物。
「キョオォォ‥‥」
その生き物の姿を認識した時、俺の時間は止まった。せっかく溜めた大蛇薙の炎もみるみるうちにその勢いを
失っていく。
マチュアにしがみ付き、その後ろから顔だけを覗かせている赤い生き物。それはつぶらな瞳をした、ちょっと
幼い顔つきの八神庵に他ならなかったのだ‥‥
*
「ちょっと、草薙?」
「まさか立ったまま寝てるんじゃないだろうね」
不意打ちだったこともあって、まだ俺の時間は止まっていた。目の前の生き物から目が離せない。
血のような赤に染まった髪、瞳の色、服装‥‥どれをとっても俺の知っている〈八神庵〉なんだが、瞳に宿る
炎は別人だ。〈八神〉は静かにメラメラと炎が燃えているのだが、コイツは静かには変わりねぇけど、小さく
ユラユラと燃えている。今にも消えそうだ。どうしてもコイツと俺の記憶の中の〈八神庵〉とが一致しない。
これは何の冗談だ、と考えたところでやっと俺の時間は動き出した。といっても、まだ意識がはっきりとして
ないんだけどな。
「コイツ‥‥なに?」
「あ、気がついたみたいね」
「なにと言われてもな。お前もよく知っている、八神庵だ」
呆然と指を指す俺に、指されたコイツはビクッと身体を震わせる。その怯えた様子に更に呆然とする俺。
「コレが、八神…・・・?」
「言ったろう。暴走していると」
「今は違った意味で暴走しちゃってるんだけどね。れっきとした八神庵本人よ」
「八神、コレが草薙だ。挨拶しな」
「ギョオォォオ‥‥?」
じーっと俺のことを見た後小さく頭を下げて、そして・・・
「キョォ♪」
「!!!??」
―笑った・・・
八神が、あの八神が俺に向かってニコッて・・・笑ったんだ。
あの八神がッ!!人の顔を見るなり、「(手に入らないなら)殺してやる」とか「覚悟しろ…」とか言ってくる
あの八神が!
―笑 っ た ・ ・ ・
「…またフリーズしちゃったわよ?」
「ハァ…全く困ったものだな」
「ギョオォ?」
3人の声がどこか遠く別世界のように聞こえる。
どうやら俺がショックから立ち直るのには、かなりの時間が必要らしい。
―誰か、嘘だと言ってくれ・・・
だが、これは現実だった。
俺、草薙京の苦難はまだまだ始まったばかり・・・
〜続く〜
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