にわか雨が降り注いだある日、一人の男が警察署に訪れた。その男からは水が滴っており、どうやら雨の被害
にあったらしい。ちょっとした水の滴るいい男、状態である。
「フー…偉い目にあったな」
雨が凌げる屋内に入ってほっとしたのか、髪やスーツについた水滴を軽く手で払っている。その仕種に周りの
人間(主に女性)がざわめき出し、ヒソヒソと推何の声が飛ぶ。内容は…かっこいい〜//、あの人誰?、何の
用事だろう…等々。
男は一通り滴を振り払い、馴れた足取りで刑事科へと進んでいった。途中、何とも頼り無さそうで、背が高く
体格のいい刑事を見つけ、男は控え目に呼びかけた。
「イトノコさん」
知り合いを見つけた気の緩みからか、精悍な顔が少し柔らかくなり糸鋸に婦警たちから厳しい視線が降り注ぐ。
その中には明らかに嫉妬の色が混じっていた。
「(……イヤな視線を感じるっス)あんた、誰っスか?」
「やだなぁ、イトノコさん。何言ってるんですか、今更。今日のこと聞いてませんか?」
糸鋸は本気で聞いたのだが、笑い飛ばされ逆に聞き返された。結局誰だかわからないが、どうやら自分と懇意
であるらしい。だが、目の前の人物は自分の記憶にあるどの人物とも一致しないのだ。どこかに引っ掛かって
いるような気がするが、明確なイメージとして頭に浮かんでこない。そして、気になる箇所が一つ。
「今日のこと……はて?」
「ほら、見せて欲しい資料があるから資料室に入る許可を貰いたいって」
「う〜ん……」
糸鋸の目が泳ぎ、うっすらと額に汗がにじむ。何しろ必死だ。周りの視線が自分に集中しているのが判る。
(ううぅぅ…っス;)
この時ばかりは自分の記憶力を呪う糸鋸であった。男は真剣に悩み込んでしまった糸鋸を見て、首を捻る。
「御剣のやつ…もしかして、イトノコさんに何も言ってないのか?」
「御剣検事…?あぁああ〜!!」
男が呟いた御剣の名前に反応し、指を突きつけ大声で叫び始めた。唯でさえ大きな声なのに、そのせいで二人
は更に注目の的となってしまった。興味を示していなかった警官たちも何事かを此方を見ている。いきなりの
叫び声に男は目を丸くした。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、あんた…もしかして…」
突きつけた指が震えている。どうやら男の名前を思い出したらしい。周り(特に女性陣)は息を呑む。
「ヤッパリ君っスか!?」
「成歩堂です!」
男―成歩堂は身を乗りだして即座にツッコんだ。さすが恐怖のツッコミ男。そのツッコミ、というかその内容
に周りは驚きと戸惑いに包まれる。マジマジと糸鋸は成歩堂を眺めた。
「……冗談っス。あんた、ホントにナルホド君っスか?」
「そうですよ。って、ホントにわからなかったんですか?」
「そりゃ…今のあんたはいつものあんたじゃないっスから……」
「へ?」
「今のあんたは誰よりもとがってないっス」
「ああ。髪のことですか…」
そう、今の成歩堂は雨に濡れたおかげで髪が垂れてしまい、特徴的な眉毛も隠れてしまっていて、随分と印象
が変わっていたのだ。それでも、急に雨に降られるなんてツいてないですよねー、と笑う彼はやはりいつもの
彼だ。どこか憎めない愛嬌のある笑顔は正体が解ってしまえば、誰もが彼だと納得した。
「ところで…御剣検事は一緒じゃないんスか?」
「少し寄るところが出来まして、先に行っててくれってメールしたんですけど……まだ来てないんですか?」
「あのー…成歩堂弁護士?」
会話の途中で、近くの婦警が話しかけてきた。手には白いふかふかとしたものを握っている。
身体ごと振り返り、向き合うと婦警の頬にほんのり朱が刺した。
「はい?何か?」
「あの……よろしければ、これを…」
成歩堂の手にその白いものが渡ろうとしたその時、成歩堂の視界が白一色に染まった。
「うわっ!」
「……いつまで廊下で話しているつもりだ?ズブ濡れではないか。早く乾かさないと風邪を引くぞ」
登場と同時に成歩堂の顔にタオルを押さえつけ、澄ました顔で話しているのは御剣その人だ。
タオルを渡そうとしていた婦警もその光景を呆然として見ていた。が、御剣を認識すると更に顔が赤くなり、
俯いてしまった。成歩堂はやっとタオルを剥がし、顔を出す。目の前の御剣とタオルを順に見て、自分の身に
一体何が起こったのかわかったようだ。
「いきなり何するんだよ御剣!ビックリしたじゃないか!」
「それはすまなかったな。だが、そのままの格好でいられても周りに迷惑なだけだ。風邪を引いて一番困るの
は君じゃない。君の依頼人だろう。今、君の身体は君だけのものじゃないのだぞ」
「うっ」
痛いところを突かれて身体を一歩引き、成歩堂は勢いをなくす。
「それに…」
「まだ何かあるのか?」
まだ続く御剣の説教に成歩堂はうんざりした様子で聞き返す。御剣はチラとギャラリーを見、言葉を濁した。
「いや……とにかく、早く乾かしたまえ。行くぞ」
「え、ちょっ…御剣!?」
「糸鋸刑事、後は私がやっておく。君は仕事に戻りたまえ」
「は…はっ!」
「ちょっと御剣!離せってえぇぇ〜……!」
御剣は抵抗する成歩堂の腕をひっ掴み、力任せに奥へと引きずっていった。そんな珍しい光景を見てしまった
ものたちは仕事も忘れ、唖然としていた。
「一体何だったんスかねぇ……?」
二人の姿が見えなくなると糸鋸は頭をかいてぽつりと呟いた。その一言に周囲は我に還り、それぞれ自分たち
の仕事へと戻っていった。
「御剣検事、結構力あるのねぇ…」
「ねぇ……そんなことより…」
「何よ」
「何、今の…」
「さぁ…ね」
「私には…痴和ゲンカのように聞こえたんだけど」
「あら、アナタも?奇遇ね。私もよ」
「何か、妊娠中の奥さんを甲斐甲斐しく世話してる旦那様、のような……片想いみたいだけど…」
「そうね。私も同じことを考えてたわ」
「ねぇ、今まで御剣検事に女の人の噂が立たなかったのって…」
「まぁ、そういうことなのかしらね」
「………」
小さく内緒話をしていた二人の婦警はある結論に達した。それは他の婦警たちも同様らしく……辺りは静寂に
包まれた。
以降、警察署に訪れると目を潤ませながら走り去っていく婦警と、「頑張って下さいねvV」とか、「応援して
ますから」など笑顔で言ってくる婦警がいて、首を捻る御剣の姿があったとか……。
終われ★
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