同日・11時04分
商店街
「はぁ…はぁ…っ…」
酸素不足で…頭がぼんやりしてきた‥‥。しかも何か見られてるし…。
それは追い掛けてくる3人に起因する。
ムチを持つどこぞの貴族やら妙な和服を着た変な髪型の美人と子ども、これで目立たない訳がない。
それらの好奇と奇異の視線と彼女達から逃れるためにも僕は必死に逃げる。だから気づけなかったんだ。
先にいる彼女に。
「あ…!リュウちゃ…!」
ビュン!
・・
成歩堂は彼女の前を通りすぎた。もの凄いスピードで。
今…何か聞こえたような…
「いい加減止まりなさい!」
ヒュン!ピシィッ!
「へぇ!? わぁ〜!」
気がつけば、もうムチが届きそうな範囲まで追い付かれていた。
…何でこんな体力があるんだ!?
考え事をしている場合じゃない!
成歩堂はきっ、と顔を上げた。ある場所に逃げ込むために…。
…さて、こちらは少し戻って成歩堂が前を通過したある地点。
「リュウちゃん、どうなさったのかしら…何か急いでいたみたいだけれど…」
彼女……あやめはいつもの装束姿ではなく、シンプルな白いワンピースを着ていた。清楚なお嬢様といった
雰囲気を醸し出している。
チョコを渡しに来たのですけれど、あの様子だと渡すのは無理そうですわね。
あやめは諦めの溜め息をつく。すると、少し前にいつも元気な真宵と少し疲労した顔の千尋の姿を見つけた。
「お姉ちゃん早く〜!ナルホド君見えなくなっちゃったよ〜?」
「ふぅ‥わかってるわ‥‥」
「あれは…‥真宵様、千尋様?」
少し控えめな声に真宵と千尋が目の前のあやめに気付く。
「あなたは…あやめさん、だったかしら?」
「はい。一体どうなされたのですか?随分お疲れのご様子ですが…」
「ナルホド君が逃げ出したんだよ〜!」
「え?」
真宵の発言にあやめは目を丸くする。
「何から、ですか?」
「私た…ムグッ」
「狩魔検事からよ」
真宵の口をふさぎ、笑顔で答える千尋。何やら思いついたらしい。
「狩魔検事さんというと、ビキニ様と一緒に私を助けてくれた…あの?」
「そうなのよ!いきなりナルホド君に事務所に乗り込んできて……私たちは助けようとしたんだけど、力が
一歩及ばなかったの」
「そんな…」
「だから!」
涙目になるあやめの手を千尋はガシッと掴んで、力強く見つめる。
「あなたの力が必要なの!」
「で、でも…私なんかじゃとても……リュウちゃんを助けられません!」
「いいえ!あなたなら出来るはずよ。見ての通り、私にはもう力がないの。ナルホド君を助けられるのは、
あなたしかいないのよ…!!」
千尋の真剣な眼差しに負けたのか、やがてあやめはゆっくりと頷いた。
「千尋様……わかりました。私に何が出来るかわかりませんが、リュウちゃんの為にもやってみます!」
「あやめさんよく決意してくれたわ!ナルホド君の跡を追って!ナルホド君を助けるの!」
「わかりました」
「追いついたら私たちに連絡してちょうだい。すぐに駆け付けるわ」
千尋は真宵の携帯番号を教えた。
「それでは私、行って参ります!」
「ええ!あやめさん頑張って!」
その途端、あやめはその容姿からは想像もできないスピードで走り出した。伊達に山に篭っていない。
「は、速いね…あやめさん…」
「え、ええ。私も驚いたわ…」
「でもいいの?あやめさんにあんな事言って…」
「あながち間違ってはいないわ。…味方は多い方がいいもの」
「いいのかなぁ…」
「私たちはゆっくり行きましょ。体力を温存して行くのよ」
首を傾げる真宵にそう言って千尋は笑った。
後に目撃者は語った。
あれは人間を誘惑する悪魔の笑い、そのものだった、と。
そんなことは露にも知らない成歩堂は…何とか冥を撒いて路地裏に潜んでいた。
「あー…疲れた…」
僕…何でこんなことしてるんだろう‥‥?
別に獲って食われる訳じゃないし、もう出ていこうかな。
その心の声に反応したかのように、成歩堂の狭い視界にムチを持った冥の姿が入る。
や、やっぱりダメだ。
怖い…!
どうか見つかりませんように…
静かにポリバケツの影に身を潜めていると、後ろから肩を叩かれた。
「わぁっ!」
「しーっ…静かにするッス!狩魔検事に見つかりたいッスか?」
「イ、イトノコさん?」
「御剣検事の命令でアンタを助けに来たっス」
「え?」
イトノコさんは大きな身体を屈ませて、耳打ちするように口に手を当てる。
「『今頃冥に追い掛けられて難儀しているだろうから成歩堂を助けるのだ。私もすぐ行く』と言って…」
「一体こんなところで何をしているのかしら、ヒゲ?」
背後からゆっくりと聞き覚えのある冷たい声がした。成歩堂は慌てて振り向く。
「狩魔検事!?どうしてここが…」
「レイジがヒゲを寄越すのは判っていたわ。だからこれをつけさせてもらった」
「それは…もしや発信機ッスか!?」
「……状況が更に悪化しましたね」
「うぅっ、あいすまねッス…」
「さぁ…覚悟なさい」
冥はムチを振り被る。その時、イトノコさんが咄嗟に僕の前に立ち塞がった。
「逃げるッス!」
「させるかっ!」
パン、ビシッ!ピシィィッ!!
「うぎゃあぁぁ…ッス」
「イトノコさん!」
「自分がここを抑えるッス!早く逃げるッス!」
「そこをどきなさい、ヒゲ!」
冥も狭い路地裏ではムチを存分に扱えないようだった。そのためなのか、威力もいつもより弱いようでイト
ノコさんも何とかその場で踏ん張っている。その背中は普段とは比べようもないくらい頼もしく見えた。
「イトノコさん……すみませんっ!」
成歩堂は踵を返して、脱兎のごとく逃げ出した。決して後ろを振り返らずに。
イトノコさんの死を無駄にしないためにも…逃げきってみせます!
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