成歩堂が三人から逃亡する少し前、真っ先に参加しそうなこの男、御剣は成歩堂と同じく捕まっていた。
同日・10時00分
検事局
御剣は本日有り余っている有給を今年初めて使って休みをとっていたのだが、急遽検事局と警察署に寄らな
ければならない理由が出来てしまったのだ。まずは検事局に訪れ、持ち前の頭脳と眼力をフル活用し、此処
での用事を速攻で終らせた。そして足早に成歩堂の元へと行こうとしていたのだが、やっぱりというか矢張
というかすっかり囲まれていた。
『御剣検事♪受け取って下さいvV』
『御剣検事…あの、これ…//』
360°から女性特有の高い声が聞こえてくる。周りからは羨望の眼差しで見られているのだが、本人にと
っては鬱陶しいだけだ。少なくとも御剣にとっては。
早く成歩堂のところに行かなければならないのに…さて、どうしたものか。
「すまないが…急ぎの用があるので、そこを通してもらえないだろうか」
‥‥‥‥
様々な駆け引きの結果、何とかその場を脱した。普段御剣は女性が近づけないような雰囲気を地で醸し出し
ているのでこのように捕まることはないのだが…バレンタインという魔力にかかった女性の勢いは少々怖い
ものがある。
次は警察署だな。
同日・10時42分
警察署
ここでも検事局と同じ現象が起こり、内心いい加減にしてくれ…と御剣は疲れきっていた。ようやく此処で
の用事も済ませ、そそくさと警察を後にしようとしたのだが……今度は糸鋸に呼び止められた。
「御剣検事!」
「………糸鋸刑事か…何か用か」
なまじ声がでかい分、聞こえなかったということには出来ない。御剣は仕方なく、だがそんな素振りは一切
見せずに返事をした。
「何かどころじゃないッス!これから裁判ッスよ!」
「なに‥‥どういうことだ」
「そんな怖い顔しないでほしいッス…狩魔検事から聞いてないッスか?」
「冥だと‥‥?」
「本来は狩魔検事の担当だったッスが、都合が悪いので御剣検事に代理を頼む。自分から検事に伝えておく、
と……」
糸鋸はおどおどと御剣の顔色を窺っている。だが、そんなことはお構いナシだ。場所も考えず、御剣は声を
張り上げる。
「私は聞いていないぞ!そんなことは!」
「し、しかしもうすぐ裁判が始まるッス!今から担当を変えることは出来ないッスよ!」
慌てながらも必死に訴えてくる糸鋸。確かに、今更何も知らない平の検事に任せたとしても、とても役には
立たないだろう。
「ちぃっ…冥…覚えておくがいい。行くぞ」
「はいっス!」
この私を謀るとは……
私を謀かった罪は重いぞ…冥。
御剣は糸鋸の運転で裁判所に向かう。固く両手を握りしめながら…
????・????
??????????
「‥‥はぁ‥‥ はぁ‥‥
‥‥くそっ!
なんでぼくがこんな目に‥‥」
「‥‥そこまでだ!‥‥
‥‥もう、逃がしませぬぞ‥‥
成歩堂龍一ッ!」
「い‥‥いったい、ぼくが何をしたと言うんですか!」
「‥‥あなたを逃がす訳にはいかない‥‥」
「‥‥‥‥?
で、でもぼくは、ただのしがない弁護士ですよ‥‥?」
「問答無用ッ!」
裁判長の木槌が僕に向かって振り下ろされる‥‥その瞬間に僕の目は覚めた。
同日・10時58分
ひょうたん湖公園・森
「あ、あれ?」
……そっか、ここに隠れているうちに眠っちまったのか。
辺りを窺ってから茂みの中から出ると、スーツに付いた葉や土を払い落とす。
「ふあぁぁ…」
大きく欠伸をしながら、公園の方へと歩く。きっと振り切れた……はず。
「おっ、成歩堂じゃねぇか」
この陽気で暢気な、あまり関わりたくない声は……
「矢張?山から降りてきたのか?」
「なんだよ!その猿みたいな言い草は!山にいたって日付ぐらい分かるんだよ!」
チラッと矢張が手に持っている紙袋に目を向ける。まさか、な。
「…確か今日はバレンタインだったと思うんだけど」
「おうよ。だからコレ作ったんだろ〜?」
「いや、そうじゃなくて、バレンタインは女性がチョコを渡す行事だったように僕は記憶してるんだけど」
「まぁそうなんだけどよ。いいじゃねぇか、人それぞれでよ」
矢張はいつもの様に袖をひらひらさせる。相変わらず脳天気だ。
思えば、コイツがこういうイベントを見逃すはずがなかったな。
それに矢張のこんなところは今に始まったことじゃない。そう割り切ることにした。
「で、誰にあげるんだ?」
「そんなのあやめちゃんに決まってるだろぉ」
「あやめさん…?なら葉桜院で渡せばいいじゃないか」
「や、それがよー彼女こっちに来てるらしくて、もういなかったんだよ」
「ふ〜ん…」
それは意外だった。彼女が葉桜院から出るなんて……買い物にでも出たのだろうか。
「成歩堂、お前彼女がどこにいるか知らないか?」
「知らないよ。大体、彼女がいないなんて今知ったばっかだし」
「そっか。サンキュー。…あっ、そうだ!」
矢張は何やらゴソゴソと紙袋を漁っている。何なんだ?
「ほら、お前にもやるよ」
「何だこれ?」
「チョコに決まってるだろ?試作品作りすぎちまってさ。その余りだ。形はマシス様のスケッチに描かれて
いたあのあやめちゃんだぜ」
ああ、あの恐ろしいスケッチのやつか…
………………………。あれをっ!?
どんなセンスだよっ!
前の考える人といい、どうも矢張のセンスはよく分からないな…;
矢張曰く、天才とバカは紙一重って言ってたけど。
「ほら、受け取ってくれよ」
「あ、ああ」
ぎこちない笑顔を浮かべて受け取ろうと手を差し出したとき、遠くから声が聞こえてくる…。
あっ見つけた!
お姉ちゃ〜ん、ナルホド君見つけたよ〜!
「うわっ;」
あの声は真宵ちゃん!?まだ近くにいたのかι早く逃げないと…
「成歩堂、どうしたんだよ」
「悪い矢張。じゃあな!」
「おいっ!成歩堂!?」
不可解な顔をしている矢張を置いて、僕は姿を消した。三人に追いつかれる前に…
「何なんだ…あいつ…?」
「ヤッパリさ〜ん、ナルホド君どっちに行きました?」
「あ、真宵ちゃんに冥ちゃんに…」
真宵が矢張の元に辿り着き、後から千尋と冥が視線でバトルをしながら追いついた。
矢張は真宵の声も耳に入らないようで、千尋をじっと見つめている。
「ヤッパリさん?」
「誰だっけなぁ…こんな美人、一度見たら忘れないはず…」
バシィッ!
「ぎゃあ!」
「とっとと質問に答えなさい!成歩堂龍一はどこに行ったの!?」
臨戦体制の冥が不機嫌も露わに、矢張の胸ぐらを掴み怒鳴りつける。
矢張は冥の様子に驚きながらも素直に白状した。決して怯えていないのが矢張らしい。
「へ?成歩堂なら今さっき公園から出てったけど……そんなことよりさぁ、オレの絵本のモデルに…」
どうやらまだ諦めてなかったらしい。冥は全く気にせずムチを握り締める。
「情報提供感謝するわ…これはそのお礼よ!」
バシ!ビシイィ!
「うぎゃあぁっ…」
「ふん!バカな男」
冥の見事なムチ捌きに矢張はその場に倒れ込んだ。真宵が心配そうな顔でしゃがんで顔を覗きこんでいる。
「うわー‥‥ヤッパリさん大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ。さあ、ナルホド君を追うわよ、真宵」
「うん!」
‥‥‥‥‥
少しして、誰もいなくなった公園に矢張はムクリと起き上がった。
「いちち…テレちゃって可愛いんだから………でも、一体何だったんだろぉな」
その呟きに答えるものは誰もいなかった。
また、誰かがその場にいたとしてもわからなかっただろうが。
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